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最終更新日:2026年8月6日

香川・高松の観光ー観光は時代の中でどう変化した?

特集

屋島、栗林公園、女木島、金刀比羅宮、寒霞渓…。昭和初期の香川・高松の観光リーフレットには今と変わらない観光地の名前が並んでいます。
昭和初期~後期の大きな時代の流れの中で、観光は単なる娯楽ではなく、地域の経済や文化の発展などと深く結びついてきました。
2026年常設展「昭和の暮らしをふり返る」と「夏休み子どもミュージアム 観光地・屋島 -“やしま”に何があるん?」を通して、香川・高松の観光の変化を探ってみましょう。

【関連展示】

瀬戸内海と観光

日本で「観光」という言葉が定着したのは大正時代頃。観光という言葉は、古代中国の書物に書かれている「観国之光(国の光を観る)」という言葉に由来します。その国の優れた文化や風光を観る・観せるという意味です。
江戸時代や明治時代にも旅は行なわれており、四国霊場の「巡礼」や神社の「お参り」、「遊覧(ゆうらん)」「物見遊山(ものみゆさん)」などの言葉で表現されていました。

では、香川・高松が観光地として注目されたきっかけをひも解いていきましょう。

海外からの視点で気づいた、瀬戸内海の景色のすばらしさ

明治時代後期になると、外国人が瀬戸内海を航行します。外国人たちは、島や岬が見え隠れする瀬戸内海の景色を絶賛しました。日本にもこの景色を「国の誇るべきもの」=「観光」として紹介していこうという動きが生まれます。
これが昭和9年(1934)、日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」の指定にもつながっていきます。

昭和初期(戦前・戦中)の香川の観光

大正末期から昭和初期にかけて日本は深刻な経済不況に襲われたこともあって、高松では産業振興と国力の充実を目的に博覧会が企画されます。昭和3年(1928)には、高松城跡で「全国産業博覧会」が開催され、市街地の整備が進み、観光政策が積極的に打ち出されるようになりました。また、昭和5年(1930)には高松市役所に観光専門の部署が設置され、地域の宣伝をおこなっていきます。

【展示品紹介】「高松小唄」絵葉書 昭和初期(前期7/18-9/6展示)

全国産業博覧会の後に、高松市の市制40周年を記念して作られたのが「高松小唄」という
歌です。大正末から昭和初期には、各地の名産や観光地を歌う「新民謡」が全国で作られました。この「高松小唄」や、有名な「東京音頭」(1933)もその一つです。
高松小唄は歌詞が7番まであり、塩江の桜、寒霞渓の眺望、栗林公園、屋島檀ノ浦、津田の松原、金刀比羅宮が歌詞に登場しました。

常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(前期)にて展示
常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(前期)にて展示

鉄道の発達により陸の移動が便利に

明治後期になると大阪・神戸と、四国や九州を結ぶ旅客航路が開通します。海上交通とともに鉄道網が整備されました。鉄道は高松・丸亀・多度津などの港と、屋島・仏生山・琴平・志度といった観光地を結んだものでした。これによって陸地の移動時間が短縮され、観光客も短期間で複数の観光地をめぐることができるようになりました。

【展示品紹介】「讃岐遊覧案内」、昭和6年(1931)

昭和6年(1931)に大阪商船によって発行された香川の観光案内「讃岐遊覧案内」。赤丸で囲まれた屋島、栗林公園、白峰、金刀比羅宮、寒霞渓などが観光地として挙げられており、社寺や眺望を楽しむところがメインだったことが伺えます。鉄道は、港と観光地をつなぐように建設されました。

常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示
常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示

「旅館」から「ホテル」へ。宿泊施設の近代化

昭和初期はこれまでの「旅館」に加えて、近代的な「ホテル」が現れ始める時期。宿泊施設も観光を推し進める上で要な役割を担っていました。

【展示品紹介】「川六ホテルリーフレット」昭和初期(前期7/18-9/6展示)

川六ホテルが昭和初期に発行したリーフレット。地図に「八栗ケーブル」が記載されています。八栗ケーブルが営業を開始したのは昭和6年(1931)。昭和19年(1944)に太平洋戦争の影響で休止したため、リーフレットはその間に発行されたものだと推測できます。
リーフレットにはモダンな洋室と和風建築の外観写真が並び、設備の充実により、宿泊客を誘致しようとしていた様子が感じられます。
面白いのは「高松小唄」の一番でも歌われていた「ユートピア」という言葉が見られること。この時期の観光宣伝のフレーズとしてよく使われていたのでしょう。
「讃岐路巡り これ程愉快な理想的な旅はありません」と大々的に宣伝しています。

常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(前期)にて展示
常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(前期)にて展示
常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(前期)にて展示

今もよく見かける交通機関やホテルの観光リーフレットは、昭和初期にはすでに身近な存在であったようです。

屋島にできた新たな名所

ここからは高松の観光地のうち、屋島を取り上げましょう。
屋島といえば、今も展望台からの絶景や高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」などを目指して、多くの観光客が訪れる場所。実は明治時代から昭和初期にかけて屋島が注目され、高松を代表する観光地になったきっかけがありました。
それは、皇族が次々と屋島を訪れたことです。

明治30年(1897)に、村雲日栄尼(むらくもにちえいに)が屋島を訪れ、源平の古戦場「屋島檀ノ浦(やしまだんのうら)」を望むことができる場所を、古(いにしえ)の源氏と平家の戦いを偲んで語る場所として「談古嶺(だんこれい)」と名づけました。

明治36年(1903)に、皇太子(後の大正天皇)が屋島に登り、「獅子の霊巌(ししのれいがん)」から見る高松の景色を絶賛。「獅子の霊巌」の呼び名はすでにありましたが、皇太子のご来訪を記念し、屋島寺の境内に石碑「仰之碑(あおぎのひ)」が立てられました。

そして、大正11年(1922)には、当時皇太子だった昭和天皇がに来訪。このとき屋島北嶺に新たな展望台を整備し、翌年同地を訪れた皇太子妃(後の香淳皇后)が「遊鶴亭(ゆうかくてい)」と名づけました。

さらに、昭和9年(1934)に梨本宮守正王(なしもとのみやもりまさおう)が談古嶺の南にある、古戦場を望む場所を「瞰蹟亭(かんせきてい)」と名づけました。

皇族の来訪により、整備されたり名付けられたりした場所が屋島の新たな名所になりました。

【展示品紹介】「源平古戦場 屋島壇の浦を中心とせる香川県名所鳥瞰図」 昭和5年(1930)

吉田初三郎は、大正時代から昭和時代にかけて活躍した鳥瞰図(ちょうかんず)絵師。鳥瞰図とは鳥の目線から見た地図のこと。この図は屋島のテーブル状の形を強調した大胆なレイアウトが見どころです。
吉田初三郎は現地を歩き、調査して描いていた人で、この図の制作のため香川県にも訪れていたと考えられます。各地を歩きながら頭の中でイメージを作り上げていったのでしょう。

常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示
常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示

図には、遊鶴亭、獅子の霊巌、談古嶺といった屋島山上の名所の詳細とともに、瀬戸内海の全景や遠くは東京や富士山までが描かれています。
よく見ると、「坂出(さかいで)」を「坂手」、「端岡(はしおか)」を「橋岡」と記すなどの漢字の間違いも。これだけ詳細に情報収集をした吉田初三郎も、聞きなれない地名は間違えてしまうこともあったのでしょう。図の右側には「正誤表」が貼られています。

常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示
常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示

鳥瞰図のような立体的な構図は、その後の観光パンフレットにも引き継がれていきました。

「観光高松大博覧会」

昭和20年(1945)に終戦を迎えた日本は、「平和国家」を目指して国家の再建に取り組むことになります。
昭和24年(1949)には、高松市の中央公園と栗林公園で「観光高松大博覧会」が開催されました。
この頃は戦争や災害からの復興を記念して各地で「復興博覧会」が開催されていました。しかし、高松では「復興」ではなく、「観光」という言葉が使われました。

【展示品紹介】「観光高松」高松市観光課、昭和24~27年頃(後期9/10-11/1展示)

観光高松大博覧会開催後の昭和24~27年(1949-1952)頃に、高松市観光課が発行したリーフレット。
地図中に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による教育施設「CIE図書館」があることから、占領期に発行されたものだと分かります。中央公園にある体育館や栗林公園内の美術館は、観光高松大博覧会のパビリオンの建物を再利用したもの。従来の観光地に加えて、丸亀町、片原町、南新町などの商店街が「繁華街」として紹介されていることも特徴です。街には9つの映画館やダンスホールもありました。

常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(後期)にて展示
常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(後期)にて展示
常設展:「昭和の暮らしをふり返る」(後期)にて展示

【展示品紹介】「観光の屋島」高松市役所観光課、高松観光協会、昭和時代後期

戦後にあたる昭和20~30年代に発行されたと考えられる屋島の観光案内。表紙には「観光のメッカ 高松」とあり、高松を大きくアピールしています。
源平合戦ゆかりの地がイラストで描かれたり、展望台からの眺望が写真で紹介されたりと屋島の魅力をわかりやすく伝える工夫をしている点にもご注目ください。

常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示
常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示
常設展:「観光地・屋島-“やしま”に何があるん?」にて展示

昭和初期から後期にかけて、日本の社会は大きく変化してきました。そのような時代背景を想像しながら展示品を見ると、香川・高松の観光をより深く知ることができますよ。

【展示情報】