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最終更新日:2026年1月9日

讃岐漆芸をめぐって

特集

第67回日本伝統工芸展の開催にあたり、日本工芸の歴史的時代背景における讃岐漆芸の歩みを概観します。

欧米諸国の工業技術を輸入し、国内での工業生産能力の伸長と活性化によって内需の拡大を図ろうとした明治政府は、欧化政策の推進とともに、世界を舞台とした対等な立場で輸出入に関する貿易交渉に臨むことを目指しました。明治以降、正式に万国博覧会に参加する日本は、国内で生産された工業製品、陶磁器や漆工品など工芸品を出品しました。すでに陶磁器は欧州において中国とともに高い評価を得ていましたが、特に漆工品は好評を博し、海外の生活スタイルにあわせた受注生産を始めるまでに至りました。

このように万国博覧会での評価を受けて、明治21年(1888)に開校した東京美術学校は、日本画科や木彫科に加えて彫金科、漆工科を置き、日本の伝統的工芸技術の復興と生産に向けてさらに高度な技術者の養成を目指しました。その約10年後、全国の工芸産地に工芸学校を設立し、東京美術学校の卒業生を教員として派遣し、工芸の増強に取り組みました。また、万国博覧会の出品に向けて、国内予選のような性格を持つ内国勧業博覧会の開催は、工芸品の生産能力の習熟度を互いに競い合わせることで、品質の向上に貢献しました。

昭和24年(1949)法隆寺金堂の火災によって壁画を焼損したことを受けて、同25年(1950)文化財保護法が施行されました。この法律は、すでに失われてしまった伝統的な技法の復興と保存を目的としています。文化財保護法は、有形のものと無形のものに大別され、無形については伝統技法を習熟した人を文化財として認定する制度です。この法制度に基づき、伝統的な日本工芸の伝承に従事する人たちの作品を広く一般に公開し、文化財保護の意義とその重要性について理解を深めるための展覧会を実施し、全国を巡回してきました。

幕末期、高松松平藩に漆塗師として仕えた玉楮象谷は、中国や東南アジアに由来する独自の漆工品の製造を行っていました。この象谷の漆芸技法を起源とする讃岐漆芸は、今日に至るまで脈々と受け継がれ、現在に至っています。この讃岐漆芸は、日本の工芸史においても全国的に特異な存在に類します。近世においては、藩主への献上品は蒔絵による加飾技法が主流で、金や銀、螺鈿などがふんだんに用いられていました。その豪華さ溢れる技法は権力の象徴を示し、敬うという意味が込められています。これに対して讃岐漆芸は、彫漆、蒟醤、存清3つの技法のことを言いますが、基本的に金を素材として使うことはありません。讃岐漆芸は、精製された漆の樹液に色の基となる顔料を混ぜた色漆を駆使したところに特徴があるのですが、江戸末期、象谷の頃には黒、朱、緑、黄のわずか4色の色漆しかありませんでした。しかし、このわずかな色漆を巧みに組み合わせ、彫漆や蒟醤技法に応用することで、蒔絵に劣らぬ絢爛とした讃岐特有の漆工を誕生させました。

象谷の作例をみると素地に木材の代わりに薄い竹ひごを網代に編んだ籃状の素地(籃胎)に漆を塗り重ね、その上から蒟醤技法を施しています。この籃胎という素地は、丈夫で軽い特徴があります。この象谷の籃胎と蒟醤をあわせ持つ手法に着目した太田儀(以下、敬称略)は、改良を加えて、竹ひごを二層に重ねて編むことで変形を防ぎ、縦横重層に蒟醤を重ねて彫ることで、より複雑な色の重なりによる陰影表現を可能としました。

香川県では漆芸に関して、これまで彫漆技法の音丸耕堂、蒟醤技法では磯井如真、磯井正美、太田儀、山下義人の名について国の重要無形文化財保持者に認定されてきましたが、今年新たに太田儀の籃胎蒟醤技法を受け継ぐ大谷早人が蒟醤技法で認定され、漆芸部門では歴代6人の人間国宝が誕生しました。

漆芸大国である香川県において脈々と将来に受け継がれる様子は、毎年開催される日本伝統工芸展で観ることができます。地域の歴史とともに歩んできた日本工芸の将来を見据える機会として本展は貴重な体験となることでしょう。

(美術コーディネーター 田口 慶太)

蒔絵の応用による“布目蒔絵”による作例
葉と葉が重なり合い、わずかに透けて見える
仕事場で制作中の太田儀
竹ひごを編んで籃胎の素地を制作しているところ

関連展示会

特別展示室及び常設展示室4・5 特別展「第67回 日本伝統工芸展」

2021(令和3)年1月2日(土)~1月17日(日)
会期中無休

開館時間

9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)

観覧料

650円、前売・団体 520円

※高校生以下、65歳以上、身体障害者手帳をお持ちの方は観覧料無料