調査研究ノートvol.27ある建築家の見た“ニッポン”
当館で平成31年度開催予定の「建築の日本展」。建築の中に「日本らしさ」がいかに表現されてきたかを、いくつかの「自画像」を描く試みとして紹介するのがテーマです。ここでは建築家・神谷宏治氏(1928〜2014年)の館蔵資料を中心に、展覧会に向けての調査研究の一端を紹介します。
神谷氏は東京・両国で建材業を営む家庭に生まれ、昭和20年(1945)の東京大空襲で家族3人を失う凄絶な体験をしました。疎開先で入学した旧制静岡高校在学中に建築を志し、登呂遺跡の発掘現場で日本の伝統の根源的なあり方に接します。昭和27年(1952)に東京大学工学部建築学科に入学、新進気鋭の建築家・丹下健三に師事。卒業論文は「都市のコア 江戸」。江戸の床屋や寄席などに、「人々の心の拠り所」を見出そうとしました。戦後民主主義にふさわしい「都市の広場」のあり方が、公共建築で模索された時代でしたが、それを日本的に読み替えようとしたのです。
昭和29〜33年(1954〜58)、神谷氏は香川県庁舎の設計・建設に丹下研究室のメインスタッフとして関わります。1957年(昭和32)、建物躯体がほぼ完成し、建物内部の床石や石机の施工、ピロティとロビーをつなぐ南庭の設計・施工に取りかかりました。小豆島での床石の整形作業を見に行った神谷氏たちは、大坂城の「残念石」など、讃岐の豊かな石文化に触れます。また、庵治の山中で見出された花崗岩の自然面を活かした石の受けカウンター制作に立ち会いました。南庭の設計を任された神谷氏は、庭石の採取場所の一つ坂出市加茂町を訪れ、農村の民家や習俗に関心を向けます。時間の経過を表す民家の土壁、刈入れ後に積み重ねられた稲藁、山々を背景に規則正しく佇立する江戸時代の墓石…。神谷氏に最も強い印象を刻んだのは、山裾に置かれた石の祠でした。風化し割れた祠にシヴァリンガ(シヴァ神の性器を表したヒンドゥー教の信仰対象)のイメージ、つまり「豊穣のシンボル」を見出した神谷氏は、高層棟と向かい合って伸び上がる彫刻的なメインの庭石の構想へとたどり着きます。子どもの頃、回遊式庭園を遊び場にした原体験に加え、香川の石文化に触れたこと、また国内外の石を熟知した庵治の岡田石材と協働したことが、香川県庁舎に豊かで日本的な広場を実現することになったのです。
香川県庁舎での経験は、その後の神谷氏の仕事(県営住宅、日本万国博覧会お祭り広場、沖縄国際海洋博覧会基本計画、川崎市民プラザ、コープタウン松が谷)の原形をなしているように見えます。「自分が関わった建築の将来を心配するとは思わなかった」と苦笑していた神谷氏は、県庁舎東館の耐震化の決定を見届け、2014年(平成26)にこの世を去りました。戦後復興から高度成長への転換期に、日本のアイデンティティが強く求められ、建築家たちがその課題に真摯に向き合った時代性に、私たちも真摯に向き合いたいと考えています。
(学芸課長 佐藤竜馬)


展示会情報 パネル展 与島と大川村
日時
7月28日(土)〜9月24日(月・祝)
会場
2階ロビー