調査研究ノートvol.26 土肥大作の苦悩
今年は「明治150年」にあたり、各地で関連した展覧会や行事が行われています。江戸から明治にかけては新しい社会に向かって大きな変動があった時期であり、意見の対立や衝突が各地で発生した時期でもあります。今回は明治時代に入ってすぐに丸亀県で起きた襲撃事件の被害者・土肥大作について紹介します。

丸亀藩では明治4年(1871)、旧丸亀藩士で幕末に尊王運動に加わり、後に明治政府に仕えた土肥大作を、同じ旧丸亀藩士が襲撃するという事件が発生しています。丸亀藩が藩を返上し新政府の下で新しく県となろうとしている時で、江戸時代の武士身分であった士族に給付されていた家禄の削減もあわせて行われていました。このことに不満を持った者たちが大作を襲ったのでした。
明治政府に仕えていた大作は、新政府の政策を喜んで推進していたのでしょうか。丸亀市立資料館所蔵の土肥家に伝わる記録や文書をみてみるとそうではないことが分かってきます。
大作は明治政府から事務能力を認められ、明治元年には三河県(現愛知県の一部)の役職に任じられました。翌年には出身である丸亀藩の権大参事(藩知事の下、藩の事務を総括する役職)に任じられます。しかし、大作は自分の体調がすぐれないこと、能力が及ばないことを理由に辞職を願い出ています。三河県での経験から、自分の出身藩で新政府の政策を推し進めることの難しさを感じていたものと考えられます。大作の願いは聞き届けられず、明治4年4月まで業務にあたります。

続いて大作は新政府の民部省へ出仕することを命じられますが、ちょうどそのころ丸亀藩は藩を返上し、県の設置を申し出ます。今度は、大作は政府に置県の趣旨が貫徹するよう働きたいとの理由で50日間の暇を願い出て帰郷します。襲撃事件はこのときに発生しました。
権大参事の任命の時には辞職を願い出、置県の時には志願して帰郷する。矛盾しているようにみえる大作の行動は、変革の困難さと郷土を新しい体制にしたいという二つの想いの間で揺れる彼の苦悩を表しているとみることができます。そんな苦悩を抱えていた大作にとって同じ元武士からうけた襲撃は大きな衝撃であったことでしょう。
展覧会「讃岐の幕末―新時代到来のゆらぎ―」では、土肥大作の例にみられるような、江戸から明治へと大きな社会変革が行われた中で発生した対立や衝突などに焦点をあてていきます。日本の近代化の出発点となった「明治」について考えていただく機会になればと考えています。
(主任専門学芸員 御厨義道)

※写真はすべて土肥家資料、丸亀市立資料館蔵
展覧会情報 明治150年関連企画 讃岐の幕末 ―新時代到来のゆらぎ―
8月3日(金)~9月24日(月・祝)
会場
常設展示室1
ミュージアム・トーク
日時
8月18日(土)、9月15日(土) 各13:30~