Vol.46 展示室だより
常設展示室1 城と城下町
9月20日(金)〜12月15日(日)
戦国時代から天下統一へと向かう時期になると、平地に城が設けられ、周囲には大名に仕える武士たちや商人・職人たちが住む城下町が形成され、政治や経済の中心となりました。その様子を紹介する「城と城下町」の展示品から、当時の状況を少しのぞいてみましょう。
高松城下町の中心・丸亀町
現在も商店街としてにぎわう丸亀町が本格的に整備されたのは、高松城が建てられてから少し後のことになります。「慶北開尋抄」などの記録では、慶長15年(1610)に丸亀に住んでいた人びとを高松に移して住まわせたことから丸亀町が始まったと記されています。城下町が拡大していく中で生まれた町のひとつだったのです。丸亀町のにぎわいは、「高松城下図屏風」でうかがうことができます。

「丸亀町絵図」
江戸時代の中ごろに作成された丸亀町の様子を示す「丸亀町絵図」という資料が遺されています。丸亀町に住んでいた商人の家に伝わったもので、現在当館で保管されています。町の様子をくわしく描いた絵図はほとんど遺っておらず貴重な資料です。宝暦3年(1753)に高松藩からの命令で作成された「丸亀町絵図」は、縦89.3cm、横225.5cmという大型の絵図で、江戸時代の終わりまで100年以上も、町を運営する基本図として用いられました。
丸亀町の様子
南北に走る通りの両側に短冊のようなかたちが並んでいますが、これが屋敷地の区切りです。区切りの中に記されている名前は「〇〇屋」という屋号をもつ家ばかりで、丸亀町は商人の町であったことが分かります。短冊状の区切りの大きさはさまざまで、大小の店が立ち並んでいた様子をうかがうことができます。一番大きな屋敷で12間=21.8m以上の間口があります。もっとも、この屋敷は後に二つに割られ、2軒の店に変わっていきます。住む人が入れ替わるとともに、町の様子も変化していったのです。
絵図には掘中に埋められた上水道も描かれています。一部の屋敷では上水道から屋敷へ水を引き込み、内井戸(屋敷内の井戸)としましたが、多くの屋敷は上水道を水源とする共同井戸の「辻井戸」を利用していました。
上水があれば下水もありました。南北と東西に走る通りで形成される区画の周りに下水が設けられています。下水の具体的な様子は他の資料からはほとんど分かっておらず、城下町の実態を示す貴重な情報です。
常設展「城と城下町」では、ここで紹介した「丸亀町絵図」のような絵図資料や当時の様子を記した文献資料をもとに、讃岐国の城下町の様子について示していきます。
(主任専門学芸員 御厨 義道)
ミュージアムトーク
10月14日(月・祝)、12月7日(土) 各13:30~
