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最終更新日:2026年1月9日

調査研究ノートvol.32 木村黙老のファミリーヒストリー—黙老ゆかりの資料をもとめて—

調査研究ノート

木村黙老 (1774〜1856) の名前を知っている人は少ないかもしれませんが、多くの人は黙老の作品を知っているはず……というのは、有名な平賀源内肖像―キセルを手にしたあの源内の肖像画を描いた人物こそ、黙老だからです。江戸時代後期の高松藩家老であった黙老は、坂出塩田を開いて藩の財政立て直しに尽力……と書けば、まじめなエリート官僚を想像しがちですが、他方で芝居見物や小説に熱中し、自らも詩画をよくした文化人でした。大部の随筆『聞くままの記』を書いて源内晩年の殺傷事件を伝えたり、地誌『讃岐国名勝図会』の編纂に関わったり……と、実は私たちが知っている讃岐の江戸時代像は、黙老が何らかの形で関わっていることが少なくありません。

木村黙老像
(公益財団法人鎌田共済会郷土博物館蔵)

黙老と馬琴

香川県内で「瀧澤文庫」の蔵書印が押された本を見かけることがありますが、なぜでしょうか。滝沢とは、『南総里見八犬伝』などの長編小説で人気を集めた曲亭馬琴 (1767〜1848) の本姓で、この馬琴は交際嫌いのため江戸に友人はなく、地方に三人の親友がいたことが知られています。その一人が黙老です。黙老は馬琴作品の大ファンで、お互いに作品の批評や蔵書の貸借を行うなど、二人の交流は近世文学史に名を刻んでいます。馬琴が一家の前途を考えて蔵書を手放そうとした際、黙老はそれらを友人とともに買い取りました。馬琴の蔵書などが香川県に残されているのはそのためです。

また馬琴の息子が38歳で他界した時、黙老は自らの境遇を記した長い手紙を馬琴へ送っています。それによれば、自分は高禄を得ているが家庭的には不運で、父が早世して叔父の養子となるものの叔父の没後は困窮したこと、家族に病人が絶えずいて苦労したことなどを述べ、人の幸福と不幸は変転するものだと親友を慰めています。馬琴も心打たれ、この手紙の全文を『後の為乃記』に掲載しています。

黙老ゆかりの資料をもとめて

近代になると黙老の膨大な蔵書は散逸を余儀なくされます。木村家に多くあった馬琴の手紙は希望する者にどしどし与えていたと伝えられ、高松近辺には黙老関係資料がかなり伝来していたはずですが、残念ながら多くが高松空襲などで失われたようです。

とはいえ、家族のもとにはゆかりの資料が引き継がれていました。当館が寄贈を受けた黙老晩年の作品「牡丹孔雀図」は、立系の佐竹氏のもとに伝えられていたものです。

また黙老には「せい」という末娘がおり、舞の師匠として高松市民には「富澤先生」の名で知られ、大正7年(1918)に生涯を閉じています。その墓は……? 探していたところ、高松市の楠川墓地にあり、「富澤玉翁之墓」「俗名せい」と刻まれていました。実は彼女も黙老の肖像画を所持していたと伝えられており、その絵も失われてしまったのでしょうか……ぜひ原本を確認したいものです。

(専門学芸員 上野 進)

参考文献:木村真清「木村黙老と滝沢馬琴」
(香川県教育図書,1935年)

木村黙老画 牡丹孔雀図(当館蔵)
富澤せいの墓(高松市)

展覧会情報 高松藩家老・木村黙老とその時代

3月27日(金)〜5月17日(日)

会場

常設展示室1

ミュージアム・トーク

4月18日(土)、5月2日(土)各13:30〜