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最終更新日:2026年1月9日

調査研究ノートvol.36 シリーズ文化財(2)作品・資料の来歴、価値づけの移り変わりを探る (常設展「伝える・味わう 文字の世界 ―収蔵の指定文化財を中心に―」より)

調査研究ノート

一つの作品・資料は、現在に至るまで価値づけが変わりながら伝えられています。現在、当館が収蔵している指定文化財のうち、「書跡」に分類される資料も、様々な変遷、様々な価値づけを経て現在に至っています。一つの資料を紹介しましょう。

国指定重要文化財 花園天皇宸翰御消息 当館蔵

国指定重要文化財 花園天皇宸翰御消息(写真)

高松松平家に伝わった資料です。花園天皇(1297〜1348年)は鎌倉時代後期の天皇。宸翰は天皇の手による書で、消息は手紙のこと。つまり花園天皇が自ら書いた手紙です。

花園天皇の自筆手紙は数多く伝来しており、現在36点確認されています。その伝来過程については、既に先行研究が明らかにしており、それらに依りながらたどってみましょう。

まず、花園天皇の宸翰が多く伝わっているのは何故か、から始めます。手紙は、内容の伝達が終われば用済みのはず。考えるヒントは、国宝に指定されている「三朝宸翰」(前田育徳会蔵)という巻物2巻にあります。この巻物は、花園天皇をはじめ父である伏見天皇や、後醍醐天皇の自筆手紙が貼り継がれているものです。そして裏面に引き剥がされた痕が見えます。どうやら、この「三朝宸翰」の裏面に何かが記されていたようです。痕跡から経典(法華経)が摺られていたと考えられています。各天皇の手紙を受け取った人物(花園天皇の弟・尊円親王)が、菩提を弔うために、手紙を貼り継ぎ裏面に法華経が摺られ、経典として伝わることで、花園天皇ほか多くの天皇自筆の手紙が後世に伝わることになったのです。

当館の所蔵品も一連のものと考えられています。現在、掛軸となっているため紙の裏側の様子は不明ですが、注目すべきは、手紙の下側の文字が切られている箇所です。恐らく経典として紙の高さを整える際に切り落とされたのでしょう。このように8巻分のお経の用紙として使われたため、多くの宸翰が伝わったのです。

では、なぜ経典が剥ぎ取られたのでしょうか。それは、お経としての役割よりも、裏面にある各天皇の自筆が注目されたためです。天皇の自筆=「財」という価値づけのもと、権力者の収集対象となりました。またその筆跡に美しさを見出し、掛軸として鑑賞する(例えば茶席に掛けるなど)ものとしての価値づけがされたのです。こうして天皇の自筆は、戦国時代以降江戸時代にかけて、実権を握った武士、大名たちの手に渡ります。加賀・前田家が収集したものが「三朝宸翰」となって伝わります。一方、徳川将軍家から水戸徳川家を通して高松松平家に伝わったと、現在のところ想定されているのが、当館の資料です。

ここまでをまとめると図のようになります。そして、筆跡の美しさや天皇宸翰という価値づけのもと、国の重要文化財に指定されました。つまり、①手紙 → ②経典 → ③「財」 → ④鑑賞対象 → ⑤文化財といった変遷を経て、現代に伝わっているのです。

一つの資料の伝来過程をたどることは、その資料が持つ歴史的な積み重ねを解き明かし、先人たちがどこに価値を見出して伝えてきたのかを、明らかにする作業です。資料・作品を後世へ伝えていく博物館(ミュージアム)として、その資料・作品のもつ様々な価値をひもとき、明らかにしていく調査活動を、今後も進めてまいります。

(主任専門学芸員 渋谷 啓一)

主要参考文献
展覧会図録『国宝誕生100年 香川の名宝展』(香川県立博物館、2001年)、作品解説は上野進氏
羽田聡「京都国立博物館所蔵『花園天皇宸翰御消息』について」
(『学叢』第30号・京都国立博物館、2008年5月)

関連展覧会

常設展示室1「伝える・味わう 文字の世界-収蔵の指定文化財を中心に-」

10月1日(木)~11月29日(日)