調査研究ノートvol.35 田中岑とふるさと香川をめぐって
画家田中岑(1921〜2014)は、第1回安井賞(注1)を受賞したことで知られる、香川出身の郷土の作家です。
田中が大切にしたのは、ふるさと香川との関わりでした。

田中の戦前・戦中時代
香川県立三豊中学校(現 観音寺第一高等学校)で美術部を創設したように、子どものころから「絵は好きだった」(註2)という田中。白馬会のひとりで香川出身の画家小林萬吾(1868〜1947)の画塾「同舟舎」に通いました。1939年、《自画像》(1939)(図1)で第9回独立美術協会展に初入選。同年、東京美術大学(現 東京藝術大学)に入学しますが、画家海老原喜之助にすすめられ、日本大学芸術学科に移りました。そこで教鞭をとっていたのは、海老原はじめ、後に戦後の現代芸術に貢献した詩人で評論家の瀧口修造らでした。美術だけでなく映画など多様なジャンルが学べた校風について、田中は「映画、演劇、文学、写真、放送へと対象にくらいつく新時代の総合芸術にかけては先駆的だった」(註3)と振り返っています。こうした環境で制作に打ち込み、1942年には初個展(神戸)を開催するに至りました。ところが、同年、召集。1945年、中国で終戦を迎えるまで、軍隊生活が続きました。その当時を振り返った言葉「まず人間が生活しているという場所ではない」(註4)からは、暗い戦地の経験がにじみます。戦死した同胞もおり、1946年、復員した田中は、故郷で「無名戦士の霊をまつる会を催し」(註5)たのでした。

田中とふるさと香川
田中の作品とふるさと香川は密接なむすびつきがあります。戦後、田中は、しばしば自身を育んだふるさとを描きました。《瀬戸内》(1963)[図2]について、長年、田中とその作品を紹介してきた水沢勉は、「画家の育った香川の風土が、その固有性を抽象されることなく、画面に生かされている」(註6)と評しています。
このような田中は、次のような印象的な言葉を残しています。第1に「僕はまず色から入り、キャンヴァスに絵具をおき、そこにすべての感性を筆圧、筆痕に託すんだ」(註7)。第2に「岡鹿之助が田中君の色は固有色じゃなく、主観の色だといったことがあるけど、よろこびや悲しみを含んだ感情的なものから共通項を探ししかない。僕が育った瀬戸内の流れは、表面はだめやかなんだ」(註8)。ふるさと香川、瀬戸内を思い出しながら、自身が感じたふるさとの色を巧みな筆づかいでキャンヴァスにのせた田中。来年、生誕100年を迎えます。
(学芸員 日置 瑶子)
註1 安井曾太郎、画家安井曾太郎(1888-1955)を顕彰し、具象的傾向のある絵画作品をその評価の対象としている、1997年まで新たな美術振興に寄与しました。
註2 田中啓一『讃岐史料』中国新聞 昭和58年3月18日。
註3 田中啓一『中西中尉』中国新聞 昭和58年3月18日。
註4 田中啓一『中西中尉』中国新聞 昭和58年3月18日。
註5 前掲書。
註6 水沢勉「風土との対話―田中 啓をめぐって―」『今日の作家たち Today’s Artists』No.90 1990年、6頁。
註7 『田中啓VS生井三郎』『田中啓 CATALOGUE』1979年。
註8 前掲書。
関連展示会
常設展示室2 アート・コレクション「田中岑—描き出された記憶」
10月1日(木)〜12月20日(日)
学芸講座(聴講無料・要事前申込) ◎「香川ゆかりの作家たち—藤川栄子と田中岑」(仮)
日時
11月8日(日)13:30〜15:00
会場
地下1階 研修室
講師
日置 瑠子(当館学芸員)
定員
36名
申込期間
10月8日(木)〜定員になり次第終了
申込方法
2頁の学芸講座の申込方法のとおりです。