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最終更新日:2026年1月9日

調査研究ノートvol.39 讃岐の石文化 —石舟の石工文化を中心に—

調査研究ノート

現在香川では、庵治石を代表とする花岡岩が有名ですが、かつては県内各地域において、多様な石の採掘・加工が行われてきた豊かな石の文化が存在しました。その1つの例として挙げられるのが、石積アーチ橋です。

石積アーチ橋とは

石積アーチ構造は、世界的には、古代ローマのコロッセウムや水道橋などに古くから使われた構造ですが、日本に伝わったのは江戸時代で、明の渡来僧・如定により架けられた長崎の眼鏡橋が最初とされています。その後も九州地方を中心として、いくつかのアーチ橋が架けられましたが、特定の石工集団の秘法とされ、全国に一般化するには至りませんでした。アーチ構造物が全国規模で普及するのは明治時代以降です。

香川の石積アーチ橋

香川では、明治時代に5基の石積アーチ橋がつくられたことがわかっています。明治25(1892)年、坂出に「両景橋」(図1)がつくられました。昭和21(1946)年に取り壊され、現在では写真でその姿を残すのみです。写真からはその工法は江戸時代に九州を中心に発展した石積アーチ橋に似ているように感じますが、一方で、存在感のある要石(アーチの天端に位置するアーチ全体を引き締める役割の石でキーストーンとも呼ばれる)は近代的な感じを与えます。

図1「坂出 両景橋」 坂出市史編さん所蔵
図2「岩屋架道橋」
図3「JR鬼無駅付近の拱渠」

続いてつくられた石積アーチ橋は明治30(1897)年に開通した讃岐鉄道の高松—丸亀間の橋梁です。2基の石積アーチ橋が今も現存しています。1つは多度津の岩瀬架道橋(図2)もう1つはJR四国多度津駅付近の狭隘な線路敷設の際に、土手を築いてその下に従来の道路や水路を通すためのアーチで現在も使用されている現役のアーチ橋(図3)です。鉄道に用いられるアーチ橋では、アーチ部分にレンガが用いられるのが主流で、香川と同様の石材による鉄道アーチ橋は、山梨・長野県下の中央本線や九州の鹿児島本線などで認められるにとどまります。特に鬼無のアーチ橋は土台部分がレンガ造り、アーチ部分が石積みとなっており、通常の構造と逆になっている点が大変興味深いです。その理由としては、江戸時代から良質の花崗岩の産地であった香川では、レンガより石材が安価であったこと、加えて県下で高度な石材加工技術を有した石工職人が存在していたからといえるのではないでしょうか。

図4「石舟アーチ橋(石舟眼鏡橋)」 四国民家博物館に移築
図5「陶の眼鏡橋」

鷺ノ山石製の2基の石積アーチ橋

明治34(1901)年に、高松市国分寺町石舟地区(以下、石舟)に総石造りの「石舟眼鏡橋」(図4)が、明治42(1909)年には、石舟地区からさらに南に進んだ、綾川町陶に「陶眼鏡橋」(図5)がつくられました。2つの眼鏡橋はいずれも鷺ノ山石でできており、スパンドレル(アーチの左右上部の三角小間の部分)が石積み(※)である点から近代土木技術の影響を受けていると推測されます。一方で要石の部分に伝統的な彫り物が細工されており、日本でも大変珍しい土木建造物といえます。

石舟の眼鏡橋には、製作年と製作者名が彫られており、製作者は兎子尾与次郎と米吉で、彼らは石舟の石工です。製作年と構造から推測すると、讃岐鉄道のアーチ構造物に影響を受けたものと考えられます。当時日本でも例が少なく、高度な技術を要する石積アーチ構造物が石舟石工によってつくられたのはなぜでしょう。明治以降、近代化とともに石材が建築物や土木建造物に用いられるようになると、石舟の石工たちは江戸時代からの伝統的石細工に加えて、積極的に新たな石材の活用法に取り組み、活路を見出そうとしたからといえるのではないでしょうか。

(専門職員 酒井 将年)

※四角く加工した切石をレンガのように組み合わせながら石を積む方法。

関連展示会

常設展示室1:讃岐の石文化—石舟の石工文化を中心に—

2月19日(金)〜4月11日(日)