調査研究ノートvol.40 洋画家小林萬吾の関連資料から
当館は昨年春、明治中期から昭和の戦後直後まで活躍した香川県三豊市出身の洋画家小林萬吾(1868-1947)を紹介する特別展を開催し、その後も調査研究を続けています。ここでは新たな収蔵資料から、萬吾が友人や東京美術学校(現 東京藝術大学)の教え子たちから受け取った絵葉書について紹介します。

ヨーロッパ留学
東京美術学校で教鞭を執っていた萬吾は1911年(明治44)から1914年(大正3)の3年間、官費でヨーロッパへ留学しました。当時のヨーロッパには芸術のみならず、科学や外交など、あらゆる分野に学ぶ日本人留学生が入れ替わり滞在し、彼らは専門を問わず縦横に交流していました。萬吾も石井柏亭、小杉未醒、山本鼎、和田三造などの洋画家をはじめ、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻、建築の本野精吾、天文学の福見尚文らと親しく交わりました。
さて、萬吾はパリを拠点に、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペインなどを旅しました。他の日本人留学生たちも同様にヨーロッパ諸国を旅し、旅先から萬吾に絵葉書を送っています。全95通のうち約半数をヨーロッパ留学中、残りの多くを帰国後の東京で受け取っています。

パリの萬吾のアトリエには多くの葉書が届いた。
留学生画家たちとの交流
差出人54名のうち、金山平三(1883-1964)からの絵葉書は23通あります。金山は東京美術学校出身の洋画家で、萬吾より1年遅れて、1912-15年に留学しています。金山は、スペインやベルギー、オランダなどの旅先で買い求めた絵葉書を、しばしば萬吾に送りました。そこには旅先の街や人々の様子、作品の制作状況、同行画家などが記され、活気に満ちた留学生たちの姿が鮮明に伝わってきます。金山と萬吾は15歳の年齢差があり、日本では教え子と教師という立場でしたが、留学中は同志として接していたことが読み取れます。
また1913年7月には、フランス北西部の自然豊かなブルターニュ地方へ、多くの留学生画家が出かけており、萬吾は「あたなも早くおいでなさい」との誘いの葉書を数人から受け取っています。43歳で留学した萬吾は、若い日本人留学生の良き見本分であったようです。萬吾にとってもヨーロッパ各地から届く新鮮な情報は、大いに刺激となったことでしょう。ときに社会情勢も反映され、第一次世界大戦が起こった1914年以降は、戦争のため旅行のみならず写生をするにも困難が生じたとの記述が見受けられます。
関連資料から見えること
絵葉書からは、画家が作品を描いた当時の様子がうかがえ、制作背景を読み取れるとともに、画家の性格も垣間見えます。絵葉書の文面を作品に照らし合わせ、そこにある物語を想像してみると、作品がより身近に感じられ、それまでとは違った印象を持つかもしれません。
萬吾に関連する資料は、絵葉書の他に手紙やアルバム、手帳等が残されています。作品を鑑賞して「この絵についてもっと知りたい」と感じた時に、このような関連資料がその一助となり、絵画鑑賞の楽しみが増すならばうれしく思います。
※絵葉書全95通の詳細は「ミュージアム調査研究報告 第12号」に掲載しています。
(学芸課職員 芳地 智子)
