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最終更新日:2026年1月9日

資料と向き合う~最明寺蔵伝 山田蔵人所用甲胃をめぐって~

特集

高松市塩江町安原下に所在する最明寺(画像1)。この寺に伝わる、戦国武将山田蔵人が用いたという甲胃をめぐって、当館が取り組んだ内容について紹介します。

1 最明寺境内

はじまりは資料情報から

伝山田蔵人所用甲冑をめぐる一連の活動の発端となったのは、甲冑を所蔵する最明寺と周辺の方々からの資料情報でした。「寺に山田蔵人が使ったという甲冑が伝わっているが、一度見てほしい。」との連絡をうけ、現地に赴きました。

原物の調査に加え、当日集まっていた周辺の方々からの聞き取りを行ってみると、元は山田蔵人の子孫にあたる家に伝わった品で、大正時代に最明寺に奉納されたらしいことが確認されました。

伝山田蔵人所用甲冑

最明寺に伝わる甲冑は、兜・胴・籠手・面頬・佩楯(部分)・脛当が揃っています。袖がありませんが、当初からの可能性も考えられます。したがって、全具が揃った完品かそれに近い状態であるといえます。

兜(画像2)は、6枚の鉄板を張り合わせて鉢(頭にかぶる部分)を形作っています。頭頂部がサビによって大きく欠損しているため、元の形状が分かりませんが、姿型兜または瓜形であったと推測されます。鉄板は薄くおさえ、軽量化を図った戦国期の兜の特徴を示しています。首を守るために鉢から下がる錣は、糸が劣化し外れていますが、全部で8段分が違っています。この時期の錣は、3段〜5段であることが多く、異例の段数はこの甲冑を特徴づける点です。

胴(画像3)は桶側胴で、簡素で制作しやすいことから戦国期などにさかんに用いられた形式のひとつです。胴の最大の注目点は、その大きさにあります。胴高は44.4cm、最大胴囲は116.3cmで、一般的な品と比べると、かなり大きな部類に入ります。所用者が大きな体格の持ち主であったことをうかがわせます。

山田蔵人高清

甲冑の所有者とされている山田蔵人は、実名を高清といい、塩江地域を拠点に、戦国期から豊臣政権期にかけて活動した武将のようです。江戸時代に記された「増真上人伝」「安原記」「全讃史」などの記録資料に略伝が載っていますが、くわしいことは判明していません。

略伝によれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参戦し、そこで入手した十三仏図や涅槃図を最明寺に奉納したといわれています。これらの品は今も最明寺に所蔵されています。山田蔵人は、身長が6尺(約182cm)で、「鴻大雄偉」(非常に大きくたくましい)な姿であったといい、最明寺の甲冑の胴が大きいこととの一致は注目されます。

また、山田蔵人は根香寺(高松市中山町)近辺に現れた牛鬼を退治したともいわれています。害をなす妖異であった牛鬼の退治を国主に命じられ、根香寺の本尊千手観音への祈願を経て討ち取り、その角を同寺に納めたという伝承があります。根香寺には牛鬼の絵とその角とされる品が今に伝わっています(牛鬼退治には別の伝承もある)。

2 伝山田蔵人所用甲冑 兜(最明寺蔵)
3 伝山田蔵人所用甲冑 胴(最明寺蔵)
4 甲冑をまとった山田蔵人 野口哲哉画

令和2年度特別展「語る武具 ~ARMOUR & STORIES~」に向けて

最明寺の甲冑について所在情報を把握した後、しばらくして当館において武器・武具を主体とした展覧会を開催することになりました。この展覧会では甲冑や刀剣を美術工芸品として位置づけるだけではなく、周辺にある伝承や伝説にも注目した内容にしようと企画しました。最明寺の甲冑は展覧会の趣旨に合い、展示品の候補としました。

一方、展覧会では新たな試みとして、甲冑を着た人物を題材とした作品制作に取り組んでいる高松市出身の現代美術作家野口哲哉さんに企画段階から協力していただきました。

野口さんは伝山田蔵人所用甲冑と蔵人の伝承に強い関心をもたれたのですが、県外に在住であり、仕事の都合や新型コロナウイルスの感染状況から、現地での調査は困難でした。

そこで、苦肉の策としてスマートフォンのテレビ電話機能を用いて、リモートで調査を決行しました。担当学芸員が最明寺に赴き、野口さんと対話しながら、必要な箇所をカメラで映して詳細を検討するという調査方法です。限られた機材と不十分な技術での試みではありましたが、思ったよりもうまく調査を行うことができました。

甲冑の調査に加えて、伝説・伝承に関わる情報を共有することで、野口さんによる絵画作品(画像4)および映像作品(画像5)が誕生し、展覧会に出品されました(映像作品は、野口哲哉さんに加え、プロデューサーの平賀大介さん、現代美術作家の野口二朗さんによる共同作品)。甲冑の出品(画像6)を含め、展示は最明寺をはじめ多くの方々に喜んでいただきました。

地元・最明寺での展示

特別展「語る武具 ~ARMOUR & STORIES~」の終了後、新たな資料の把握、調査・展示から得られた成果を地元の方々と共有したいと考えました。そのことが、これからの資料の保存や活用をすすめていくための後押しになっていくのではないかという発想からです。

最明寺にご協力をお願いし、伝山田蔵人所用甲冑を寺で公開し、当館の学芸員が解説するという催しを行いました(画像7)。開催日は山田蔵人の命日とし、甲冑に加え、山田蔵人が奉納したと伝えられる十三仏図・涅槃図、さらに野口哲哉さんの作品もあわせての公開となりました。平日の開催になったにも関わらず多くの方に集まっていただきました。

資料との向き合い方

伝山田蔵人所用甲冑をめぐって、資料の所在を把握することに始まり、展示へと展開させる中で現代美術との交流につなげ、得られた成果を資料の所在する地域と共有するという一連の活動を行うことができました。

改善・発展の余地を多く残していますが、博物館・美術館施設のみで完結するのではなく、いろいろな方々とともに資料を活用し、保存に向けた意識を高めていくための可能性を提示できたのではないかと考えています。

(主任専門学芸員 御厨 義道)

5 映像作品「根香寺牛鬼伝説」の一場面
6 特別展での展示風景
7 最明寺での公開風景