特別展「近代香川を生み出したまち 多度津ものがたり」
この展覧会は、香川県が「近代化」していく上で、先進的な役割を果たした「多度津」に注目し紹介するものです。「港」と「近代化」を切り口に多度津のまちの魅力にせまります。

多度津からはじまる
香川県の瀬戸内海沿岸の中部、やや西寄りにある多度津町。その中で港を中心とした地域は、江戸時代に港町として発展し経済力を蓄え、明治時代に入ると鉄道の敷設、電力会社や銀行の設置など近代化に向けた活発な動きがみられた地です。そして多度津で生まれた事業は、現在も香川県を支える企業につながっています。
近代がやってきた
明治22(1889)年5月、香川県で最初の鉄道が丸亀~多度津~琴平の区間で開通します。運営は讃岐鉄道株式会社でした。四国内でみると、明治21年に開通した松山~三津間の伊予鉄道会社に次ぐ、先進的な事業でした。
讃岐鉄道は、丸亀や多度津から上陸して金刀比羅宮に参詣する旅客を運ぶ交通手段としてにぎわいます。明治30年2月には丸亀~高松の区間が開通し、交通・流通における重要性を増していきました。
讃岐鉄道は、明治37年に山陽鉄道へ買収され、同社は同39年に国有化されます。鉄道路線は四国内をつなぐべく拡張されていきますが、その中で多度津は、愛媛・高知方面に向かう分岐点となります。江戸時代に大きく発展してきた多度津港の航路にあわせ鉄道が通じることで、四国と本州を結ぶ重要な交通拠点となったのです。国が運営してきた鉄道は、民営化されJR四国(四国旅客鉄道株式会社)として現在も利用されています。
香川県下で最初に電気が供給されたのは、明治28年のことで、高松電灯株式会社によってでした。その後、明治36年になって讃岐電気株式会社により金蔵寺村(現・善通寺市)に火力発電所が建設され、多度津・丸亀に電気が供給されます。しかし讃岐電気株式会社の運営はうまくゆかず、多度津の資本家たちが関わることになります。火力発電から水力発電に重点を置く方針に転換し、明治43年、四国水力電気株式会社と改称、大正3(1914)年には本社が多度津に移転します。大正8年、堀江に火力発電所が建設され、電力の供給を拡大し、昭和5(1930)年にはライバル会社である高松電灯株式会社を吸収し、県下のかなりの電気をまかなうようになります。その後、電力は国の管理下に置かれ、四国水力電気株式会社は四国内の電力会社と統合されて四国配電株式会社となります。第二次世界大戦後、電力再編により四国電力株式会社が誕生します。
身近な存在である銀行は、明治時代になって整備されたもので、当初は国立銀行と私立銀行がありました。明治11年に成立した第百十四国立銀行は、香川県で最初の銀行で、現在は百十四銀行となっています。一方、多度津銀行は産業・商業資金や資産家資本の運用を目的として設立された私立銀行のひとつで、多度津の資産家たちの出資によって設立され、明治17年の丸亀銀行、同23年の私立東讃銀行に次いで同24年誕生しました。変動する経済状況の中でも安定した経営を続けていましたが、戦時下における金融合理化により昭和16年に高松百十四銀行(第百十四国立銀行から転換)に営業譲渡します。多度津銀行本店が高松百十四銀行多度津支店となり、敷地は拡張していますが、現在も同じ場所で百十四銀行多度津支店が営業を続けています。
このように、明治期において香川が新しいものを取り入れていく上で、多度津が大きな役割を果たしたのです。その中で多くの人とモノが多度津を行き交い、にぎわうまちが形成されました。時代の変化により、多度津はその位置づけを変えることになりますが、明治・大正・昭和のあゆみを残す町並みが今に伝わっています。

近代にたどりつくまでの多度津
多度津が近代香川の起点となったのには、前提がありました。多度津は古い時代から豊かな生活や高い文化が展開していた地だったのです。
多度津町内には弥生時代の遺跡や古墳が確認されています。中でも注目されるのが奥白方にある盤築山古墳で、国内最大級の勾玉や国内でも例の少ないトンボ玉などが出土しています。瀬戸内海に面し、弘田川を抱える地形が外部との往来を促し、大陸の高い文化が入ってきていたことを物語るとみることができます。
高知県香美市の談議所地区に伝わる旧吉祥寺(廃仏毀釈により廃寺)の涅槃図には、「多度津」の地名と「嘉元三季」(1305、鎌倉時代)の年紀が記されています。涅槃図自体も同じ時代に描かれた作品であると考えられ、当時の「多度津」は質の高い文化がもたらされる場であったことが示されています。
こうしたことから、多度津とその周辺は古い時代から外部との往来がさかんな地であったことが分かり、その基盤になったのが瀬戸内海との接点・港であったと考えられます。
多度津港が大きく発展するのが江戸時代です。この時代にさかんになった金毘羅参詣は、当初丸亀を上陸地とした路程がにぎわいますが、参詣者が増えるに従い、讃岐より西から訪れる人々は多度津を利用するようになります。人の往来の増加とともに、まちが大きくなっていったと考えられます。こうした状況をさらに発展させたのが、文政10(1827)年の多度津藩の陣屋設置と天保9(1838)年の多度津港前の築造です。
多度津藩とは、元禄7(1694)年に丸亀藩を治めていた京極家が分家して立てた藩ですが、歴代藩主は丸亀城の中に拠点を置いていました。四代高賢の時に、藩主の在国時の居場所であり政庁でもある陣屋が多度津に設けられたのです。多度津は藩政の中心となったことで新たな人やモノの動きを獲得することになります。
多度津の港は桜川の河口を利用したものでしたが、船の往来が多くなるにつれて拡張が必要となってきたとみられます。そのために海を囲う堤防を築いて港としたのが多度津港前です。港前の完成により、大型の船も入ることができ、波をさける機能をもった良港が誕生します。
古い時代から多度津が港を中心に栄え、江戸時代に大きな転換を迎えることで、たくさんの人とモノが往来する場となりました。この発展が前提にあって、近代になってからの先進的な動きが生み出されていくのです。
地域とつながる
当館では、中期活動計画の中で「地域の人びとと地域活性化に取り組み、ともに成長するミュージアム」を使命として掲げ、地域に住む人たちとともに、歴史・民俗資料の所在把握や旧宅に遺る道具や記録資料の整理を行うなど、その地にある文化遺産を守り、活用していく活動に取り組んでいます。そのモデル地区として選んだのが多度津町です。
多度津町の歴史や特徴を活かそうと活動しているまちづくり団体等と協力・連携することで、観覧と現地をつなぎ、多度津町を訪れて完結する展覧会を目指しています。
(主任専門学芸員 御厨 義道)



特別展「近代香川を生み出したまち多度津ものがたり」
会期
9月18日(土)〜11月23日(火・祝)
開館時間
9:00〜17:00
(入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日、9月21日(火)
※9月20日(月・祝)は開館
会場
特別展示室
観覧料
800円、前売・団体650円
高校生以下、65歳以上、
障害者手帳をお持ちの方は無料
※関連行事は8頁インフォメーションをご覧ください