調査研究ノートvol.43 江戸時代の旅日記
江戸時代の旅
現代の日本においては、誰もが自由に旅することができ、旅が好きな人も多いと思います。今日では娯楽の一つとして親しまれていますが、旅が民衆の間で広まるのは江戸時代中・後期といわれています。民衆が行った旅で代表的なのが寺社参詣であり、讃岐国では金毘羅参詣や巡礼による四国遍路が有名です。この頃には、名所の案内書である『名所図会』や『東海道中膝栗毛』などの旅に関連する出版物も刊行されます。
今回は、当館が所蔵する旅日記から、江戸時代の民衆の旅の一部を紹介したいと思います。

天保6(1835)年の旅日記
ここで紹介する資料は「乙未道の記」と題された旅日記です。日記の作者は、古賀(現在の福岡県朝倉市)出身の船金という人物で、この日記には天保6年1月28日から同年4月25日までの旅が記されています。この中で船金は、古賀から伊勢へ向かい、岡崎城下(現在の愛知県岡崎市)まで行き、古賀に帰っています。その道中で様々な場所を訪れています。
1月28日に地元を出発した船金は、甘木(現在の福岡県朝倉市)に到着。翌日には太宰府に向かい、秋月街道を北上します。船金が讃岐国に滞在するのは2月11日から13日までです。2月11日の未明に阿伏兎(現在の広島県福山市)を船で出発し、正午に多度津へ到着します。その途中には、「丸亀の御城」と「さぬきの小富士」(飯野山)が見えたことも書かれています。多度津へ着いた船金は、お風呂に入り、午後2時に象頭山に向かいます。午後4時には、金毘羅へ参詣。その日は多度津で一泊します。12日は、町を見物。13日の午前11時に多度津を出発し、讃岐国を後にしています。
船金が伊勢神宮を訪れたのは3月12日であり、その途中では、訪れた先の寺社への参詣を行うほかに、吉野山や名古屋城などの名所にも足を運んでいます。帰路では、小豆島を見ています。船金は名所の知識もあったようにうかがえます。

案内書としての旅日記
明治から昭和へと時代を経るにつれ、鉄道や瀬戸内海航路の整備、観光地のパンフレットなどが次々と出版され、旅がより親しみやすくなります。現在ほど自由なものではありませんでしたが、江戸時代においても旅は人々にとって楽しみの一つでもありました。
胤金が記した「乙未道の記」は、単なる日記というより、距離や地名、名所を記しているなど、「案内書」としての側面も持っており、私たちに当時の旅の様子を教えてくれます。甘木に着いた胤金は、郷里に帰る前に知り合いと会っています。旅の様子を話題にしていたのではないでしょうか。旅の話を土産にするのは、今も昔も変わりませんが、自由に旅が出来なかった分、より一層、旅の話を聞くのが楽しかったのかもしれません。
(学芸員 川邊 優佑)
展示会情報
常設展示室1「あちこち旅日記」
3月8日(火)〜5月8日(日)
ミュージアムトーク
4月2日(土)、5月8日(日) 各13:30〜