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最終更新日:2026年1月9日

調査研究ノートvol.47 主基斎田耕羊・千代号を追って

調査研究ノート

綾川町山田上地区(旧 綾歌郡山田村)ののどかな田園地帯に残る大正天皇大嘗祭の主基斎田跡。その近くに「主基斎田耕牛千代号碑」と題する石碑があります。春の特別展でも紹介される主基斎田ですが、ここではその斎田を耕し、碑に記された耕牛・千代号の一生をたどります。

耕牛千代号

大嘗祭は天皇が即位後初めて行う新嘗祭で、神に新穀を供え、自らも食す神事を中心とします。大正天皇の即位に伴う大嘗祭では、使用する米を収穫する地域として、東の悠紀国に愛知県、西の主基国に香川県が選ばれます。その主基国・香川に設けられた斎田で田を耕した牛が千代号でした。千代号は牛の名産地として知られる岡山県新見町(現 新見市)で明治44年(1911)7月6日に生まれた牛牛です。香川県内で育てられ、大正4年(1915)4月に綾歌郡産牛組合の品評会で一等賞に輝くと、その日のうちに斎田耕作者の岩瀬辰三郎に購入され千代号と名付けられました。しっかりとした体格と穏やかな性格が評価されての受賞でした。

斎田での作業

斎田では県・郡の指導のもと、神事上・衛生上の清浄を保つため細心の注意を払って作業が行われました。不浄とされた下肥(人糞尿からなる肥料)を避けて最新の化学肥料が用いられ、山田村と周辺の村々では消毒の励行や「赤痢予防液」の接種が行われます。そして千代号にも、具体的方法は不明ながら「飼養上特別の注意」を払い排泄回数を減らす飼育が行われ、耕作中は排泄物を受ける容器を用いることになりました。

こうして大正4年5月27日、5万人を超える大観衆が見守る中で田植式が行われます。普段の農作業とは大きく異なる状況でしたが、碑文によると千代号は「姿勢清高、挙措は終始粛然として乱れず」(姿勢は清らか、立ち居振る舞いは終始粛然で乱れなかった)という姿で参加を終え、人々は新たな天皇の即位を祝う喜ばしい吉兆、祥瑞と称えました。

田植式で斎田を耕す千代号
「大嘗祭主基斎田記念絵葉書」 大正4年 当館蔵

その後の千代号

この時、千代号は妊娠しており、同年7月に立派な仔牛を出産しました。その後、千代号は斎田を記念して設立された主基農林学校(現 香川県立農業経営高等学校)にて飼育され、昭和9年(1934)1月5日に死にました。翌年には、綾歌郡畜産組合(産牛組合から改称)が千代号を記念するため前述の石碑を建立しています。なお、千代号は死後、主基農林学校の教員・生徒の手によって骨格標本となりました。斎田耕牛として香川の農業の名誉を担った千代号は、今も農業経営高校で大切に守られています。

(学芸員 藤井 俊輔)

主要参考文献:香川県編『主基斎田記録』(香川県,1918年)
香川県綾歌郡編『主基斎田記録』(香川県綾歌郡,1918年)

主基斎田耕牛千代号碑