特別展 皇居三の丸尚蔵館名品選 美が結ぶ 皇室と香川 にあわせて もっと知りたい 皇室と香川
特別展関連企画 常設展示室2 皇室と高松松平家 ―大正時代の行啓
4月16日(火)~5月26日(日)
江戸時代、東讃岐12万石を治めた高松松平家は、水戸徳川家の筆頭分家として高い家格を与えられ、幕府の中でも重要な役割を担っていました。将軍の名代として京都への使者に任じられることもあり、歴代の高松藩主が天皇家から拝領した品々は今も大切に保管されてきました。
明治時代になり、華族となった松平家は、廃藩置県後、東京に住むことになります。旧高松城は、兵部省(のち陸軍省)の管理下に置かれることになりましたが、明治23年(1890)2月、払い下げを受けて、再び松平家の所有になりました。
12代頼寿は、旧高松城内に別邸を建設することとし、大正6年(1917)に披雲閣(重要文化財)が完成しました。以後、披雲閣は香川を訪れた皇族など多くの賓客をもてなす場所となりました。
大正11年、陸軍特別大演習で披雲閣が大本営として使用された際には、摂政宮(後の昭和天皇)が滞在し、翌年には後に皇后となる久邇宮良子女王が家族とともに滞在しました。
春の特別展開催に合わせて、本展では大正時代の行啓に関わる資料から、皇室と高松松平家、香川県との関わりを紹介します。
(学芸課長 野村 美紀)


特別公開 天皇の写経 一般若心経
4月16日(火)~5月26日(日)
春の特別展「皇居三の丸尚蔵館名品選」の会期中、空海室(常設展示室3)では光厳天皇(1313~64)写経の『般若心経』3巻を特別公開します。今、多くの人に写経される『般若心経』ですが、正式には『般若波羅蜜多心経』という唐の玄奘が漢訳した経典で、すでに退位し太上天皇(上皇)であった延元元年(1336)3月に写経されました。伊勢神宮、石清水八幡宮、春日大社の三社へ奉納するために写したことが、各巻末の奥書からわかります。その背景について当時の政治状況に翻弄された立場からの解釈もありますが、「一字三礼」からは真摯に経文を写し、「令救三界流転之衆生」からは迷える衆生が救われることを願う天子としての姿がうかがえます。平安時代、嵯峨天皇も疫病が流行った際、空海の助言により『般若心経』を写経したといいます。北朝初代の天皇とされ、後に仏道に入った光厳天皇の宸翰。
実際には三社へは奉納されず、水戸徳川家から高松松平家に譲られ伝来しました。実直な筆墨とともに、銀箔を散らした当初の表紙が伝わるのも見どころです。
(主任専門学芸員 三好 賢子)
