調査研究ノートvol.49:法然寺の仏涅槃群像
令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えるのにあわせ、4月に東京会場から開催が始まった特別展「法然と極楽浄土」。京都、九州へも巡回するこの特別展では、法然寺(高松市)から仏涅槃群像(図1)の82軀のうち26軀が出陳され話題を呼んでいます。

法然寺は、法然上人が讃岐へ配流された時に滞在したという生福寺(まんのう町)を、初代高松藩主松平頼重(1622~95)が高松城からほぼ真南へおよそ8.5キロメートル離れた地に移して再興した寺院です。寛文8年(1668)に始められたとされる法然寺造営は頼重晩年の大事業になり、当館では平成19年(2007)より古文書・書画・彫刻、松平家墓所などの総合調査に取り組んできました。この度の特別展「法然と極楽浄土」の準備に際し、仏涅槃像の再調査を経て、改めて考察する機会を得ました。
仏涅槃群像を安置する堂宇は、群像の印象が強いため「涅槃堂」とも呼ばれますが、本尊は仏涅槃像ではなく、来迎印を結ぶ阿弥陀如来像を中央に釈迦如来像と弥勒菩薩像を左右に配する三仏で、「三仏堂」が正式名です。頼重がまとめた寺の運営に関する定め「仏生山法然寺条目」の一条に「涅槃の釈尊ならびに羅漢聖衆五十二類まで、形像造立し納め置くの間、毎年涅槃会は三仏堂において執行すべし」とあり、堂内に仏涅槃像と会衆の彫像群を造立し、毎年涅槃会を行うことが頼重の当初からの構想であったことは明らかです。なぜ願主・頼重は、三仏の前に仏涅槃像を配する尊像構成としたのでしょうか。
仏涅槃像の金色の衣は盛り上げ文様で華やかに飾られています。文様は、蓮華唐草、蓮池、宝珠、瑞雲、瑞鳥、花菱、菊流水、渦潮付き波濤、青海波、紗綾形、亀甲繋ぎ、麻葉繋ぎなど多種におよびます。家紋のモティーフ「葵」の一葉をあしらうなど文様には意味があるようです。注目されるのは袈裟の正面中央2か所に配される龍(図2)。頼重は、寛文13年に隠居が許されると「龍雲軒源英」と号し、延宝3年(1675)に落飾して法号を「龍雲院」としました。その後、自ら設けた廟所本殿(現在墓石のみ)に納めた衣冠束帯姿の陶製寿像は(図3)足下に龍を侍らせ、「龍」が頼重にとって特別な存在であったことは明白です。仏涅槃像の衣に龍をあらわしたのも頼重自身の意図である可能性が考えられます。本尊中尊が来迎の阿弥陀であることを踏まえれば、人としての釈迦がその生涯を終えた後、阿弥陀浄土へ往きて生まれる、というストーリーに龍を介して自らを重ねようとしたかのようです。法然寺境内の堂宇配置が極楽浄土への往生ルートを意識したものであるのと同様、三仏と仏涅槃像の関係性も頼重の強い欣求浄土の願いによるものではないか、と考えているところです。
(主任専門学芸員 三好 賢子)


法然寺調査に関する当館の刊行物
「法然寺調査」『ミュージアム調査研究報告』3、2011年
『高松藩主松平家墓所調査報告書』、2015年
特別展「法然と極楽浄土」
京都国立博物館:2024年10月8日(火)~12月1日(日)
九州国立博物館:2025年10月7日(火)~11月30日(日)