Topic 瀬戸内海歴史民俗資料館が重要文化財に指定されました
昭和48年(1973)11月に開館した瀬戸内海歴史民俗資料館(以下、当館)は、令和6年12月、国の重要文化財に指定されました。1970年代に建てられた建造物としては初の指定で、中庭を巡るように配置された諸室からなる建物一棟のほか、附として石積擁壁や建築・構造図面108枚が指定文化財となりました。
五色台の自然の中で
当館を設計した山本忠司(1923~1998)は、香川県建築課職員として建築家丹下健三(1913~2005)が設計した香川県庁舎(1958年、重要文化財)の建設に携わったほか、讃岐民芸館(1965~70年)や香川県立武道館(1966年)など多くの公共建築を手がけました。
その代表作とされるのが当館で、五色台の高低差のある自然地形にあわせて正方形の展示室等を一巡するように配置し、所々に大きな開口を設けて内外が連続するような開放的な展示空間を生み出しています。また、地中から切り出された石を外壁に積み上げて自然景観との調和を図るなど、場所性を活かした建築は日本建築学会作品賞を受賞(1975年)するなど高く評価されています。



自然と一体化するような空間配置が当館の特徴ですが、完成までに何度かの案の変更がありました。第1案の記録は見つかっていませんが、当時の県教育長から都会に相応しいモダンすぎる建物と評され再考。次いで製作された第2案と思われる図面と模型写真を見ると、長方形の広い展示室の一角に地下1階・地上2階建の正方形の建物があり、別に事務室棟を設ける計画だったことがわかります。
その後、親交のあった彫刻家イサム・ノグチとインドを旅行した山本は、ノグチの「最近の美術館は出たり入ったりしながら回ってくる」という言葉や、土地の素材と人の手で仕上げられたインドの建築に刺激を受け、帰途、現在の原型となるアイデアをまとめます。当館の建築は、五色台の自然はもちろん、建設に携わった建築家や職人、芸術家、文化庁などのほか、知事や教育長をはじめとする県関係者など多くの人が関わる中で模索され、生み出されたものでもあるのです。
媒介としての建築
今回の指定では、立地や風土を考慮し、地方の場所性を活かした建築作品であることに加え、歴史・民俗資料の収集保存、調査研究、公開展示や学習機能を備えた総合的な地方歴史民俗資料館の最初期の完存例としても評価されました。環境と人間とのかかわりを理解し、媒介としての建築を大切にしようとした山本の思いは、開館後の歴史民俗資料館としての活動を通して、当館が瀬戸内の各地域をつなぎ、瀬戸内海と人々のくらしをつなぎ考える場となることで生き続けていくのではないでしょうか。
開館以来50年以上が経ち、施設・設備の改修や収蔵空間の確保など、さまざまな課題も見えています。五色台山上の、この場所にしかない建築をいかに維持し、活かしながら瀬戸内の文化を考える場となっていくか。収蔵する大切な民俗資料をどのように未来に引き継いでいくか。これから先も当館の歩みは続きます。
(瀬戸内海歴史民俗資料館館長 松岡 明子)