WEBマガジン

最終更新日:2026年1月9日

調査研究ノートvol.50:高松城東之丸跡の石垣を探る

調査研究ノート

香川県立ミュージアムとレクザムホール(香川県県民ホール)は高松城東之丸の跡地に位置しており、それぞれの敷地内で石垣を見ることができます。ここでは、石垣の見どころを紹介しつつ、その来歴について考えてみます。

図1 当館東玄関の石垣

地上に残る石垣

天正16年(1588)から生駒親正によって築城された高松城は、寛永19年(1642)に松平頼重が城主となった後も改修・拡張がなされました。東之丸は寛文11年(1671)ごろから松平家が拡張した曲輪であり、延宝5年(1677)ごろには完成していたと考えられています。

当館の東玄関では、香川県歴史博物館(当館の前身)の建設にともなって発掘された東之丸の石垣を見ることができます

(図1)。石垣の中央部分には横一列にそろった目地が見て取れます。この目地のあたりから下が出土部分で、それより上部は往時の高さに復元したものです。この石垣は、江戸時代後期の文政5年(1822)に「はらみ出し」と呼ばれる歪みを引き起こしたため、幕府に積み直しの願いが出された箇所のひとつであり、その際に修復された部分が混在していると思われます。

また、レクザムホール内には東之丸の北側・東側および艮櫓跡櫓台の石垣が残っています。特に北側と艮櫓跡櫓台は後世の修理の跡があまり見られず、石を割った際の楔の跡(矢穴)や、表面を滑らかに仕上げた際のノミの削り跡を見ることができます。海側の表面に化粧仕上げを施す点は、登られにくくするという防衛上の理由のほか、海からの見栄えを良くしたいという、瀬戸内海を監視する「海城」らしさも感じられます。

レグザムホールに残る地下石垣

レクザムホール地下の遺構保存庫では、東之丸が作られる以前に海岸の護岸として築かれた石垣を見学することができます。大きく4段階に分けて築かれたこと、東之丸の築造にともなって埋没したことが発掘調査でわかっています。

生駒時代末期、寛永15~16年(1638~39)ごろの高松城を描いた「高松城下屋敷割図」(高松市指定有形文化財、高松市歴史資料館蔵)では、この場所には「捨石」と注記された石が波打ち際に沿ってまばらに描かれるのみで、石垣はまだ築かれていません。捨石は敵船の接岸の妨害や、波消しのために置かれていたのでしょう。一方、松平頼重の高松入城後間もない時期を描いたとされる「高松城下図屏風」(図3)では、遺構保存庫のある場所に護岸が描かれており、4段階に分かれた地下石垣のどれかを描写していると思われます。以上のことから、遺構保存庫にある地下石垣は高松松平家が入城した頃から東之丸築造までの30年ほどの間に築かれ、何度も手が加えられたことになります。松平時代初期に城の周辺の整備が段階的に行われていく様子がうかがえます。

このように当館周辺に残る石垣はこの土地がたどって来た歴史を物語っています。ご来館の際には、ぜひそれぞれの石垣にも注目してみてください。

(学芸員 藤井 俊輔)

図2 レクザムホール地下の遺構保存庫
図3 香川県指定有形文化財「高松城下図屏風」(部分)

参考文献

香川県教育委員会編『高松城東ノ丸跡発掘調査報告書』
(香川県教育委員会、1987年)

香川県埋蔵文化財調査センター編
『香川県歴史博物館建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 高松城跡』
(香川県教育委員会/香川県埋蔵文化財調査センター、1999年)