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最終更新日:2026年2月24日

【複製秘話vol.04】見るたびに新しい発見がある「高松城下図屏風」 

特集

歴史展示室の近世エリアにある「高松城下図屏風」は、高松藩主松平家初代頼重(よりしげ)が高松城に入った1642年から1670年までの時期の城下町を描いたものです。これほど詳細な城下図は全国的にもまれで貴重な史料。その見どころや複製秘話をご紹介しましょう。

高松城下図屏風の特徴

城下町の暮らしが見える立体的な絵

高松城下図屏風は、高松藩主松平家に代々伝わるものの一つです。最大の特徴は、城下町全体の様子を一枚の絵で把握できるように作られたこと。城下図というと地図の形で表現されるものも多いですが、地図は空間把握には便利な反面、風景や建物の姿は分かりません。この絵は立体的に描かれ、建物や人々の暮らしが読み取れる貴重な史料となっています。

また、道の配置もデフォルメされることなく、正確に表現されています。高松城周辺で行われた発掘調査では、道の跡や屋敷跡が絵の通りに確認されたこともあります。

屏風が描かれた時代背景 

屏風に描かれた風景のころは、高松にとって重要な転換期でした。高松城を最初に築いたのは生駒(いこま)家という大名です。その後、松平家が引き継ぎ、城に手を加えていきました。この屏風はちょうど生駒家から松平家に入れ替わる時期の様子が描かれていて、その点でも注目すべき史料といえます。

ちなみに、現在の香川県立ミュージアムがある東之丸あたりは、この絵ではまだ城郭の外。1671年以降に堀が新造され、東之丸が生まれました。

【豆知識】お殿様は自分の領地を知らない?

江戸時代の半ばごろになると、お殿様(領主)は基本的に江戸で生まれ育ちます。藩主になった時点で国元に帰ることになりますが、それまで自分の領地を見たことがないというお殿様も多くいました。
高松城下図屏風がどこに置かれていたのか確証がありませんが、もしかしたら江戸の屋敷に置かれ、自分の領地を知るための道具として使われていたのかもしれません。

このように、高松城下図屏風は、城下町の姿を正確に伝えることを強調している点が、室内の装飾に使われる屏風と一線を画しているといえるでしょう。この屏風をいつでも見られるようにしたいという思いがありましたが、実物を長期間展示し続けることは保存の観点から難しい。そこで、複製を制作することとなりました。

複製の苦労ばなし 

特殊なフィルムカメラを使って分割して撮影し、それを印刷して複製を作りました。印刷する紙も仕上がりが実物に近くなるようなものを選びました。難しかったのは色です。印刷で再現することが難しく、試し刷りをして実物と見比べながら調整しました。部分的に絵具で色をつける補彩もしています。長い間使われていた屏風ですので汚れや傷がありますが、展示室で見てもらうことを考えながら、一方で実物の印象を損ねないように補正するといったこともしました。複製をひとつ作るために、何人もの人が関わり、多くの時間がかけられています。

八曲(はっきょく)屏風へのこだわり

高松城下図屏風は、八つの面をつなぎ合わせた「八曲(はっきょく)屏風」です。六曲(ろっきょく)屏風が主流のなか、八曲屏風で仕立てたのは「東西に長く、南北に短かった」当時の高松の城下町の特徴に合わせたとも考えられます。実際の町を忠実に描こうとした意図のあらわれかもしれません。

また、屏風には必ず「折り」の部分ができます。当時この屏風を描いた人は、絵のどこに「折り」を配置するか試行錯誤したことでしょう。

屏風を広げて1枚の平らな絵として展示する方法もありましたが、当時の見方をふまえ、折って展示することにしました。

屏風絵を歩くような体験ができる3D映像

屏風の複製と並行して、屏風に描かれた風景を当時最新のコンピューターグラフィック(CG)を駆使して3D映像で再現しました。まだ、現在ほどCG技術が発達しておらず、スムーズな動きを出すためには膨大なデータ量が必要でした。

屏風絵には描かれていない建物の裏側の様子は、ほかの史料も検証しつつ想像して補完しました。映像に登場する人物は、もっと立体的に描き起こすこともできましたが、町の様子に目が行くように、あえて高松城下図屏風と同じ平面のままにしています。

屏風の中の高松城下を散歩するような気分で楽しんでもらえればと思っています。

複製の制作を通じて発見したこと

ここで城下図屏風の見どころを少しご紹介しましょう。

武士と町人のエリアの違い

高松城下は天守閣を中心に、内堀、中堀、外堀の三重の堀が築かれています。一番外側にある外堀で、武士と町人の住むエリアが分けられていました。外堀の内側は武士の屋敷で、白い塀によって敷地がしっかり区切られていることが見て取れます。一方、町人の家は家同士がつながっていて、奥の方に庭のような空間も見られます。

屋根の素材も異なっています。武士の家は桧皮葺き(ひわだぶき)や瓦葺きであるのに対して、町人の家は板葺き(いたぶき)です。町人の家にはのれんがかかり、魚が並んでいる様子なども描かれています。刀を持った武士が並んでいるあたりは刀の研ぎ屋さんがあった場所で、「磨屋町」という町名にその名残を感じることができます。

高松城の正門

現在の正門は城の西側にありますが(屏風は北を下にして描かれています)、この時代の正門(大手門)は天守閣の南側にありました。正門の前の中堀には橋がかかり、ちょうど登城の時間でしょうか、裃(かみしも)を着た武士が橋を渡る様子が描かれています。城の中に1台の籠(かご)が見えますが、籠に乗って城内に入ることができるのは、特別に許された身分の高い人だけでした。

城の左下の海上には赤い幕がめぐらされた御座船(ござぶね)の一団。一番豪華な船に乗っている高貴なお方は、高松藩主松平家初代頼重(よりしげ)かもしれません。

まとまって配置されたお寺

城下町の中に生垣の緑に囲まれたお寺がまとまって配置されていところがあります。これは多くの城下町で見られる特徴で、お寺はいざというときに兵を置く場所として考えられていました。お寺のまわりには、黒い衣を着たお坊さんが描かれています。

複製の制作にあたり、細部まで観察したり、制作中の複製と実物とを比較したりする中で、「ここに、こんなものが描かれていたんだ」と発見したことも数多くありました。その知識の蓄積はその後の展示に生かされています。

高松の街は時代とともに変化を続けてきました。絵に描かれているような城下町の風情は少なくなってしまいましたが、今の街と共通する特徴的な道筋や路地を見つけることができるでしょう。高松城下図屏風と街と比較しながら散策してみてはいかがでしょうか。