源平合戦図屏風(一の谷・藤戸) げんぺいがっせん ず びょうぶ(いちのたに・ふじと) 作者 - 時代 江戸時代 17世紀 品質・員数 紙本著色 二曲一双 法量(cm) (右隻)縦150.4 横169.0 (左隻)縦150.3 横168.8 収蔵番号 B00000238 もっと見る もっと見る 解説 寿永3年(1184)の源氏と平氏の内乱である源平合戦のうちの、一の谷合戦を右隻に、藤戸(ふじと)合戦を左隻に描く二曲一双の屏風。右隻の画面右上には、源義経(みなもとのよしつね)軍が鵯越(ひよどりごえ)の急な坂を一気に駆け降る様子を描く。画面左下にかけては、義経軍に背後を突かれた平氏が船へと逃れる様子が確認できる。藤戸合戦を描く左隻では、佐々木三郎盛綱(ささきさぶろうもりつな)が海上の平家を攻め、戦功をあげて備前国児島(こじま)を拝領するまでの様子を表す。画面右下から左下にかけて、盛綱が浦の男から浅瀬の場所を密かに聞き出す場面を、画面中央では盛綱がその男を自ら殺害する場面を描く。これらの内容は『平家物語』に基づくものであり、盛綱は翌日にその場所を馬で渡って海上の平家を攻めることに成功したとある。一方で、画面右上にて浦の男の母が息子を失った悲しみを盛綱に訴える場面は、謡曲『藤戸』に由来するものである。盛綱が問い詰められる場面が『平家物語』に登場しないことから、本屏風は謡曲『藤戸』に基づいて制作されたと考えられる。金銀の砂子や野毛を素地に直接散らす表現技法や、狩野派とは異なる漢画系の要素がみられることなどから長谷川派の絵師が描いた可能性が考えられ、制作時期は慶長(1596-1615)から元和(1615-24)年間と推測される。 関連作品 後西天皇宸翰御懐紙(詠新樹妨月) AKARI 青貝微塵塗鞘および大小拵 東山天皇宸翰御懐紙 作品をさがす リセット キーワード検索 分類 すべて 絵画(国内) 絵画(国外) 彫刻 工芸 書 デザイン 民俗資料 その他 指定区分 すべて 国宝 重要文化財 重要美術品 県指定 市町指定 検索
解説
寿永3年(1184)の源氏と平氏の内乱である源平合戦のうちの、一の谷合戦を右隻に、藤戸(ふじと)合戦を左隻に描く二曲一双の屏風。
右隻の画面右上には、源義経(みなもとのよしつね)軍が鵯越(ひよどりごえ)の急な坂を一気に駆け降る様子を描く。画面左下にかけては、義経軍に背後を突かれた平氏が船へと逃れる様子が確認できる。
藤戸合戦を描く左隻では、佐々木三郎盛綱(ささきさぶろうもりつな)が海上の平家を攻め、戦功をあげて備前国児島(こじま)を拝領するまでの様子を表す。画面右下から左下にかけて、盛綱が浦の男から浅瀬の場所を密かに聞き出す場面を、画面中央では盛綱がその男を自ら殺害する場面を描く。これらの内容は『平家物語』に基づくものであり、盛綱は翌日にその場所を馬で渡って海上の平家を攻めることに成功したとある。一方で、画面右上にて浦の男の母が息子を失った悲しみを盛綱に訴える場面は、謡曲『藤戸』に由来するものである。盛綱が問い詰められる場面が『平家物語』に登場しないことから、本屏風は謡曲『藤戸』に基づいて制作されたと考えられる。
金銀の砂子や野毛を素地に直接散らす表現技法や、狩野派とは異なる漢画系の要素がみられることなどから長谷川派の絵師が描いた可能性が考えられ、制作時期は慶長(1596-1615)から元和(1615-24)年間と推測される。